ナポレオンの
香りにまつわるエピソード
ワーテルローの戦いでイギリス軍に破れ、セントヘレナ島に流された。
爽やかな香りが好きだった彼のために、従者が島で似たような香りの植物を育て、オーデコロンを作った。
それが「セントヘレナの皇帝のオーデコロン」 で、亡くなる1820年に処方された。
その香りはオレンジとレモン、プチグレン、バーベナ、ローズマリーの爽やかな香りだったとか。
ナポレオンと
オーデコロン
ナポレオンは、重大な決断をする際に、オーデコロンを嗅いだと伝えられる。
第一執政就任後は、戦争の意思決定者でもあった。政治的には近代市民社会の原理を定着させたことが大きい。
軍事的な天賦の才も持ち合わせていた。
2度に渡るイタリア戦争、アウステルリッツの戦いなどでは、部隊を迅速に動かす近代的な戦術を生み出した。
戦争史をみても、彼が初めて近代的な戦術を生み出したと言える。
そんな重大な意思決定のときに、オーデコロンが近くにあったに違いない。
香り依存症
ナポレオン
彼は重度の香り依存症で、緑のモロッコ革の旅行ケースに
・数百の香油瓶
・オーデコロンの瓶
・香料入りの咳止め錠剤
などの高価な箱を携帯してた。
さらに日に数本のオーデコロンを使っていたと言われている。
当時は香りをまとうことが、市民、中流階級のステータスでもあった。
銀行家のオーデコロン
当時の若い銀行員、ミューレンスはオーデコロン“4711”を販売していた。
やっぱり医薬品扱いで、苦味をつける変性剤なしのアルコールと天然香料のみだったため、飲むこともできた。
ちなみに現在でも販売されている。