香りの逸話と歴史

カトリーヌ・ド・メディシス

中性ヨーロッパ文明の先駆けを作った彼女は、香りとどのような関係があるのか?

カトリーヌ・ド・メディシス
概要

イタリアフィレンツェの名門メディチ家に生まれた彼女は、1533年にアンリ二世と結婚。子供4人もうけるも次々と失ってしまうという悲しいバックストーリーが。

当時のイタリア文化を嫁入り道具に携えた。

その結果現在のフランス料理が始まったとされており、フォークやジャム、アイスクリームの製造法とそのための冰室が伝えられたのです。

このように洗練されたイタリア文化が、中世ヨーロッパ文化の先駆けとなったのです。

香水文化の先駆けを作った
功労者

フランスで香水の文化が始まったのはまさにカトリーヌ・ド・メディシスから始まった。

その影の功労者の名前はコスモ・ルジェロという宮廷錬金術師とルネという調香師。

面白いことにアロマテラピーの始祖である人物の名前もルネ・モーリス・ガットフォセといい、“ルネ”の名前を冠していて興味深いです。

異名『毒盛り女』

彼女は多くの虐殺にも関わっていたとされており、手口としては自身の政敵に対して毒を塗った手紙や手袋を送りつけるというもの。

余談ですがサン・バルテルミーの大虐殺のヒロインであるのはとっても有名。

ノストラダムス

大予言の大本であるノストラダムスは、なんとカトリーヌに仕えていた宮廷医師でもあったのです。

一体どこにノストラダムスと彼女に接点があったのか?結論から言うとカトリーヌが予言と超自然現象に興味があったため。

そしてノストラダムスは当時の貴族階級相手に特別な化粧品やペストに効く丸薬など、香料を使った処方箋を残している。

現代だったら間違いなくマルチ商法や詐欺紛いだと思う。

フランスでの香料生産開始

現在で香料を生産する国といえば?おそらく多くの人は南フランスのグラースと答えるでしょう。

そんなグラースは初めから香料を生産していたのかと聞かれればNOです。

当時はグラースにはなめし革の工場があり、そこに新婚旅行で立ち寄ったカトリーヌは香水の製法を伝えたと言われています。

なめし革の強烈な匂いを隠すために芳香をつけた香り手袋づくりに活用されたのです。

ここで香りのある手袋を考案したのは一体誰なのか?結論を言います。フランスの軍人である“フランギパニ侯爵”という人物。

え?職人じゃないんかい!!とツッコミを入れられそうですがこれについて説明します。

そもそもフランギパニ侯爵とは誰?というところから。簡潔に言うと教皇直属の軍隊に所属する軍人。

芳香のする手袋を考案したということで有名になり、彼の名前であるフランギパニ手袋という名前で現在も使われている。

もう一つの理由は南フランスの気候が大きく関係している。

地中海性気候で寒暖の差が激しく、特に南東部から吹き下ろす地方風のミンストレルは寒冷で乾燥している。

そんな気候で大丈夫か?と思うでしょうが、ラベンダーやローズ、ジャスミンなどの香料のもととなる植物が育ちやすいのです。

そしてフランスでの香料の需要が高まるにつれて香料製造の中心地となっていったのです。

まとめ

ここまで大きくまとめるとカトリーヌが当時のフランスに最先端の知識と技術を齎した。

なめし革工場に立ち寄った時に香料製造の知識を伝え、フランギパニ侯爵が芳香つき手袋を考案して需要が増加。

都合よく香料となるラベンダーやローズを育てるのに適した土地だったため香料製造の中心地となっていった。

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